怖い場所

幼稚園の頃、自分の通っていた幼稚園の中にとても怖い場所がありました。

それは物置です。
園庭
Googleさん、写真お借りしますw

写真の赤い部分に物置きがあったのですが、悪いことをするとここに入れられるんです(◎o◎;)

自分は入れられたことはありませんが、悪いことをした子供が入れられるのを見たことがあります。

それはそれは恐ろしい入れられ方なんです。

泣き叫ぶ子供を先生が二人掛かりで上に持ち上げて物置きの中まで連れて行くんです。

まるで仮面ライダーに出てくる“ショッカー”が二人、幼稚園にやってきて園児を連れ去って行く光景を見ているかの如く、ブルブル震えながら見ていた記憶があります。

『絶対あそこには入りたくないな。。。』

ずっと思ってました。

でもあの物置き、そんな真っ暗ではなかったような記憶も。

もしかしたら怖かったのは、子供を上に持ち上げてまで物置きまで運んでいく、先生たちの行為だったのかも知れません(゚o゚)

小学校の頃、家の中にとても怖い場所がありました。

それはトイレです。

まだ水洗ではなかった我が家のトイレはただでさえ怖いところでした。

小学校1年の時の学校帰りの友達との会話

友達:『一つ目入道って知ってる?』

自分:『知らな~い』

友達:『うんとね、目が一つしかなくてトイレの中からニュウッと出てくるんだよ』

自分:『・・・』

想像しました。。。

家のトイレの中から目が一つしかない得体の知れない者がニュウッと出てくる光景を。。。Σ(´□`;)

両親は二人とも働いており、兄が中学生、姉が高学年だったので、家に帰っても自分ひとりしかいない家。

そんな一人しかいない家の、それも一つ目入道が出てくるトイレに行けるはずがありません。

というわけで、誰かが帰ってくるまでは近くの草むらで用をたしていました(´・ω・`)

そんな自分でしたが鍵っ子ではありませんでした。

家の鍵は持っていませんでした。

家の鍵はいつでも開いているんです(^_^;

そんないい時代のいい町だったんです(^_^)

今思うと、草むらで用をたしたり、家の鍵がずっと開けっ放しだった、ということの方が『怖い』ですね。

そんな実家も泥棒に入られてからはきちっと鍵をかけるようになりました(o゜▽゜)o

自分の地元では蛍を見たことはありませんでした。

自分がまだ小さかった約35年ほど前の郊外とは言え、蛍がいたという話は聞いたことがありません。

幼稚園か小学校低学年の頃、母親の田舎である秋田に遊びに行ったときに、庭にたくさんの蛍がいたのを覚えています。

親戚のお兄ちゃんたちが、膨らませた両手の中に蛍を入れて、指の隙間から光る蛍を見せてくれたのもよく覚えています。

その時、贅沢にも子供たち1人1人に1瓶のサイダーを与えられたことも良く覚えていますw

“あぁ、蛍はこういう田舎にしかいなんだなぁ”

と思っていました。

それ以来、蛍を見たのは『ぼくの夏休み』というゲームの中でくらいですw

つい先日までは。。。

今、自分が住んでいる地域では『蛍を呼び戻そう』という場所がいくつかあります。

何年か前に数回見に行きましたが、蛍に出会ったことはありませんでした。

“やっぱりいないんだよなぁ”

と思っていました。

先日、久々にそれを思い出して蛍を見に行くことにしました。

“どうせまたいないってっ!”

とまったく期待しないで行きました。

親子4人、自転車で現地に着くと、他にも数グループが蛍を探しに来ていたようです。

“今日はいるのかな?”

暗い道をトコトコ歩いていくと、別グループの母娘が座って草むらの中を見ていました。

“蛍がそこにいるんですよ。”

“えっ!”

驚きました。本当に蛍がいるなんて。

もっと驚いたのが、その母娘がうちの娘と同じ幼稚園のお友達でしたw

蛍のいる位置を詳しく教えてもらって、そこをじっと見ていると

たまぁにボワッと光ったり、時にはビカァ~と光ったり、ほとんど移動せずにその場でお尻を光らせていました。

“いるんだねぇ~”

期待したことはほとんど実現しないうちら夫婦。。。

今回はまったく期待しないで行ったのが良かったのか、1匹だけですが念願の蛍を見ることができました!

詳しい場所は教えませ~ん!

幼稚園の遠足

幼稚園の時の遠足はどこへ行ったのか?と思い出してみると、

年中(2年制だったので年少と呼んでいた)の時が西武園
年長の時が豊島園

だったと記憶していますが、アルバムの写真を見る限り、おそらく合っていると思います(謎)

昔、西武園には“おとぎ列車”という乗り物があって、遊園地とユネスコ村を結んでいましたが、今ではその列車は“西武鉄道山口線(レオライナー)”という路線になっています。

幼稚園の遠足の時に“おとぎ列車”に乗った記憶があるのですが、写真が残っておらず、ユネスコ村に何があったかも思い出せません。

また、“おとぎ列車”も蒸気機関車だった記憶があるのですが、調べてみたらやはり自分がちょうど遠足行った1972年には蒸気機関車が走っていたようです。

こんな記憶なので、もしかしたら乗らずに、蒸気機関車を見ただけなのかも知れませんが、、、w

先日、西武ドームで行われた『こども夢の王国』に娘を連れて行った時に西武山口線に乗りましたが、

『あぁ、これが昔乗った(見た?w)おとぎ列車が通ってたとこかぁ』

と、まったく形も変わってる車両なのに、なぜか懐かしさを感じました。

娘は今、幼稚園の年中さん。自分が西武園に遠足に行った歳です。

さて、娘の遠足はというと、同じ所沢だけど西武園ではなく“所沢航空記念公園”。

現地集合 → 記念撮影 → 体操 → 遊びやゲーム → 昼食 → 現地解散

という、自分の幼稚園の遠足の記憶とは程遠いものですw

それでも子供たちは大はしゃぎで楽しそうでした。

まぁ、自分の幼稚園の時の遠足も、往復のバスの乗車時間とか考えると、おそらく現地には数時間しかいなかったことでしょう。

乗り物にも数個しか乗れていなかったと推定されます。

それでも、丸一日遊んだという感覚が残っているので不思議です。

小学校の頃、豊島園とか後楽園とかよく行きましたが、朝早くから閉園近くまで、フリーパスで何度も何度も乗り物に乗り続けたものですが、それでも乗り足りないくらいでしたからね。

園児と小学生で、すでに時間の感覚が違うということなんですかね~?

自転車

このブログはBlognPlusというPHPを使わせていただいていますが、IEでは一部で文字化けを起こしていたようです。
自分の文章では『韓国語』が文字化けしていました。

<原因と解決方法>
BlognPlusのスキンのhtmlに記述されている


lang=”ja”
が邪魔をしていたようで、この記述を削除してだけにしたら文字化けせずに表示されるようになりました。

BlognPlusユーザーの皆様、ご参考まで。

さて昨日の記憶の続き。

次に古い記憶ですが、複数あってどれが先か後かわからないのでまとめて書きますw

・大阪万国博覧会で外人さんからヨーヨーを買う
・万博の帰り、新幹線の中で転んで肘掛にぶつけて歯を折る
・大雪が降ってものすごく大きい雪だるまを作る
・ピーターパンという名前の自転車を買ってもらう

万博は確定ですが、その他の記憶も1970~1971年の出来事だと思います。

万博に行ったときの写真はアルバムにたくさんありますが、実際に体感して記憶に残っているのは上の2つだけ。
今思い出して感じるのは、ヨーヨーはアルミのような軽い感じのもので、コカコーラヨーヨーのような重量感はありませんし、技もまったくできないような物でした。
下に降ろしても戻りが悪い、という記憶は自分がまだ下手くそだったからでしょうねw

大雪の記憶は、これまでの雪の記憶の中でも最大の大雪だったと思います。
庭でものすごく大きな雪だるまを作りました。
ただそれだけの記憶ですが、、、

幼稚園に入る前は、父親が商売をやっている神田によく付いて行ったりしてました。
自転車は神田で買ってもらい、商売の配達車(うちにしてみれば自家用車ですがw)で家まで運んでもらったんだと思います。
型名は『ピーターパン自転車』。ハンドルが丸くつながっている珍しい形です。
幼稚園の時にはすでに補助輪を外し、一人で友達の家とかまで出かけたりできるようないい時代でした。
今、幼児を一人で出かけさせるなんて怖くてできないですもんね。

このピーターパン自転車にまつわる記憶は他にもいくつかあります。
・朝、補助輪を外しての練習に付き合ってくれた、仕事に行く前の父親。
・一緒に遊ぶけど、自転車に乗れないので走ってついてくる幼稚園の友達。
・自転車で友達の家に行く途中、一緒に行こうとしていた友達が途中で転んでしまい、『お前だけで行ってくれ、俺はここで待ってる』と言われ、もちろん行ったw
・たまには補助輪付きも乗ってみたくなり、友達の補助輪付きの自転車と交換して乗っていたが、曲がるときに車体を倒せないことを忘れており、無理に倒して曲がろうとして補助輪が邪魔で転んでしまい、そのまま道路脇のドブに落ちた。結構深かったので全身浸かった。
・スタンドがないので、左のペダルをうまく地面に付けて、倒れないように置いていたw
・最後に、ゴミ捨て場に捨てられていた。。。

さて、ハングルメモ

タイトルの 『自転車』  ハングルでは 자전거

読み方は『チャヂョゴ』。チャリンコと似てるので覚えやすいですねw

【例文】
나는 자전거를 탈 수 있어요.
ナヌ チャヂョゴル タ ス イッソヨ
私は 自転車に 乗ることができます。 

【解説】
나는:私は
자전거를:自転車に
탈 수 있어요:乗ることができます

【탈 수 있어요の詳細】
탄다:“乗る” の辞書形
ㄹ 수 있다 または 을 수 있다:“~することができる” という可能を表す
어요 または 아요:どちらも “です” “ます” にあたる言葉

탄다の語幹탄からㄴが脱落し、ㄹ 수 있다の語幹が続き、어요で終わるので

탈 수 있어요
となります。

【応用】
자전거로 갈 수 있어요.
チャヂョゴロ カ ス イッソヨ
自転車で 行くことができます。

~로 または ~으로:~で(手段、道具)
가다:“行く” の辞書形

記憶

皆さんが覚えている一番古い記憶は何ですか?

自分が覚えている一番古い記憶は、幼稚園に入る前の3歳くらいの頃、子供雑誌『めばえ』か『マミー』の付録の工作を、母親に作ってもらっている光景です。
マジックハンド
その付録も鮮明に覚えています。

厚紙を切り抜いて作る『マジックハンド』です。
マジックハンドといっても宅八郎が持っていたロボットの手みたいなやつではなく、右図のような伸び縮みして遠くのものを取ることができるやつです。

“よくこんなのが作れるなぁ”とまじまじと見ていたからよく覚えているのでしょう。

その後、それで遊んだかどうかはまったく覚えておりませんが、こういったちょっとした仕組みや仕掛けのあるものには今でも興味があります。

今は自分が親となって子供の付録を作ってあげたりしてますが、大体はその日のうちに壊れてますね。。。

上の子は4歳ですが、どの記憶を一番古い記憶として持っていくのか楽しみです。

さて、ハングルメモ

タイトルの 『記憶』  ハングルでは 기억

読み方は『キオk』で日本語の『キオク』とよく似ていますが、最後の『ク』はハッキリとは発音しません。
『ク』の母音『ウ』を言わないで『キオッ』てな感じです。
但し、文章になって後ろに文字が続くときは『k』をハッキリ発音したりもします。

【例文】
나는 그를 기억해요.
ナヌ クル キオケヨ
私は 彼を 覚えてます。

【解説】
나는:私は
그를:彼を
기억:記憶
해요:してます