こえだちゃん

小学校の時、そろばん塾に通っていました。(一応3級取ってますw)

そろばんが終わったあとはまっすぐ家に帰るわけではなく、必ず友達と遊んで暗くなってから帰るのが日課でした。

ある日、いつものようにそろばんが終わって、友達とも遊んでそろそろ帰ろうとしたとき、道路の端を横ぎるものがありました。

薄暗くて最初は何だかわからなかったけど、よく見ると白い仔犬でした。

体長もまだ30cmくらいのほんとに小さい仔犬でした。

どこからきたのか?親とはぐれたのか?はわかりませんが、友達と二人で確保したらとても小さな声で『クゥ~ン』と鳴いたので、その瞬間“声出した”→“声だ”→“こえだ”→“こえだちゃん”という名前を付けていましたw

どこの犬かもわからないし、暗いし、放っておくのもかわいそうだと思い、自分が家に持ち帰ることにしました。

今思うと、『もしかしたら、その仔犬を探していた人がいたんじゃないか?』とか『親犬も心配してたんじゃないか?』とか『ほんとに持ち帰ってよかったのか?』とか、もう少し飼い主を探せばよかったなとちょっと後悔しています。

うちにはすでに“チビ”という名前の柴犬がいました。

“こえだちゃん”はひとまず自分の部屋に隠していましたが、ちょっと狭いところに隠していたのでかわいそうだと思い、まずは姉貴に相談することにしました。

『犬拾ったんだ。』

『どこにいるの?』

『部屋。』

『見せてみっ』

そのあとのやり取りはよく覚えていませんが、たぶん姉貴が親に言ってくれて、ちょうど裏の大工さんちの“チロ”が亡くなったあとで、そこで“こえだちゃん”を引き取ってもらえることになりました。

“こえだちゃん”に付いた新しい名前はというと

“チロ”

同じじゃん。

以前いた“チロ”は白い中型より少し大きい犬、“こえだちゃん”も白い犬だったので“チロ”。

そう、裏の大工さんちはズーズー弁なので“シロ”→“チロ”になってしまうんですw

新しい“チロ”はすくすく育ち、数ヶ月くらいで“チビ”を超える大きさになりました。

“チロ”は大型でした。

以前いた“チロ”にもどことなく似ています。

一緒に拾った友達も、『これがこえだちゃんかぁ、大きくなったなぁ』と驚いていました。

“チロ”は女の子でした。“チビ”は男の子です。

二人の間には子供も産まれました。

その仔犬たちも近所のあちこちの家にもらわれていきました。

さて、黙って拾ってきてしまった犬ですが、はたして裏の大工さんの家で過ごせて幸せだったでしょうか?

あの日の帰り、“こえだちゃん”を連れて帰らずにそのまま放置していたら、飼い主か親犬のところに帰れたでしょうか?

ひょとしたら交通事故にでも合っていたかもしれません。

結果論ですが、

・いい家で暮らすことができた
・すくすく育った
・子供も授かった

良しとしたいと思います(^_^;

幼稚園の遠足

幼稚園の時の遠足はどこへ行ったのか?と思い出してみると、

年中(2年制だったので年少と呼んでいた)の時が西武園
年長の時が豊島園

だったと記憶していますが、アルバムの写真を見る限り、おそらく合っていると思います(謎)

昔、西武園には“おとぎ列車”という乗り物があって、遊園地とユネスコ村を結んでいましたが、今ではその列車は“西武鉄道山口線(レオライナー)”という路線になっています。

幼稚園の遠足の時に“おとぎ列車”に乗った記憶があるのですが、写真が残っておらず、ユネスコ村に何があったかも思い出せません。

また、“おとぎ列車”も蒸気機関車だった記憶があるのですが、調べてみたらやはり自分がちょうど遠足行った1972年には蒸気機関車が走っていたようです。

こんな記憶なので、もしかしたら乗らずに、蒸気機関車を見ただけなのかも知れませんが、、、w

先日、西武ドームで行われた『こども夢の王国』に娘を連れて行った時に西武山口線に乗りましたが、

『あぁ、これが昔乗った(見た?w)おとぎ列車が通ってたとこかぁ』

と、まったく形も変わってる車両なのに、なぜか懐かしさを感じました。

娘は今、幼稚園の年中さん。自分が西武園に遠足に行った歳です。

さて、娘の遠足はというと、同じ所沢だけど西武園ではなく“所沢航空記念公園”。

現地集合 → 記念撮影 → 体操 → 遊びやゲーム → 昼食 → 現地解散

という、自分の幼稚園の遠足の記憶とは程遠いものですw

それでも子供たちは大はしゃぎで楽しそうでした。

まぁ、自分の幼稚園の時の遠足も、往復のバスの乗車時間とか考えると、おそらく現地には数時間しかいなかったことでしょう。

乗り物にも数個しか乗れていなかったと推定されます。

それでも、丸一日遊んだという感覚が残っているので不思議です。

小学校の頃、豊島園とか後楽園とかよく行きましたが、朝早くから閉園近くまで、フリーパスで何度も何度も乗り物に乗り続けたものですが、それでも乗り足りないくらいでしたからね。

園児と小学生で、すでに時間の感覚が違うということなんですかね~?

給食の歌

小学5年生の時、音楽の授業で

“『給食の歌』をテーマに作詞してください。4分の4拍子で8小節として考えてください。”

という課題が出たので、自分は

 給食給食 楽しいな

 給食給食 おいしいな

 食べる前に 手を洗い

 みんなで一緒に いただきます

という詞を書きました。

“来週までに、今日作った詞に曲を付けてきてください。”

という宿題が出ました。

1週間後の朝、、、宿題を思い出しました。。。

そう、作曲の宿題をやっていなかったのです。

朝ごはんも食べず、慌ててリコーダを持ってきて、先週作った詞に曲を付け始めました。

 きゅうしょく きゅうしょく たのしいなぁ
♪ドー ド ド ソー ソ ソ ララララソー ・・・

作曲なんて初めての経験だったし、コード進行の『コ』の字も知らなかったので、思いついたフレーズの音符をどんどん並べていくだけでした。

どうにかこうにか30分くらいかけて楽譜が出来上がり、無事音楽の授業で提出することができました。

数週間が経ち、音楽の授業で先生が、

“うちのお兄ちゃんたちと一緒に、皆さんが作った曲を全部見せてもらいました。”

うちのお兄ちゃんたちというのは、音楽の先生の息子さんたちで、音大生なのか音楽家なのかは忘れましたが、とにかく音楽に携わっているので、皆が作った曲を親子で吟味したようです。

“一番良かった曲は○○君の給食の歌でした。”

ん?今自分の名前が聞こえた気がするが、、、

やっぱり、自分の名前だったようです。

慌てて30分くらいで作った曲だったので驚きです!

『給食の歌』をテーマに、5年生と6年生が8小節の曲、6年生が16小節の曲(6年生も8小節でした)、『集会の歌』をテーマに6年生が16小節の曲を課題として作っていたようです。

結果、給食の歌2つと集会の歌1つが選ばれ、それぞれ給食を食べる前と、週1回の朝の集会の時に歌う歌に決定しました。

給食の歌は2つ選ばれましたが、自分の作った曲が代表となり、給食を食べる前には各クラスから自分の作った歌が鳴り響くようになりました。

全体集会のときは、給食の歌を作った人の紹介ということで、全校生徒の前で挨拶したり、音楽室には自分の名前が入った楽譜が飾られていたり、給食を食べる前の歌の時にはみんなにジロジロ見られたりと、恥ずかしがり屋さんの自分にはちょっと耐え難い経験をさせてもらいましたw

さて、それからどのくらいの期間が経ったかは定かではありませんが、またまた音楽の時間に作詞作曲の課題が出ました。

今度は音楽の授業中に作った詞に、次の週の授業の時に即興で曲を付けてみんなの前で歌うというもの。

即興とはいえ、1週間あるのでちょっとは曲を考えられるなぁと思っていたら、曲がぜんぜん出てこない。

出てきてもしょぼい。。。

1つしょぼいのが思い浮かんだら、もうそのしょぼい曲が頭から離れない。

前回、褒められるほどの曲を作ったので、次も下手な曲は作れない、というプレッシャーがあったのでしょうか?

いやいや、そんなのは思い上がりで、純粋に作曲する力なんて持っていなかったんです。

だいたいにして給食の歌はまぐれだったんですからw

結局、即興の歌は思い浮かんだ“しょぼい曲”で発表し、

“○○君にしてはいまいちだったわね~”

と先生からのお言葉。。。

『給食の歌、実は他の誰かに作ってもらったんじゃないか?』という噂が流れたかどうかは定かではありませんが、そういう噂が流れてもおかしくないくらい“しょぼい曲”だったんですよw

でも、給食の歌はほんとにほんとに自分で作った曲なんですよ。

いつでもいい曲が作れたら作曲家の人たちは苦労しませんし、そもそもそんなこと素人の小学生に期待しないでくださいw

給食の歌はまぐれですからっ!!

次に曲を作ったのは、大学の時に組んでいたバンドでです。

ベースをやっていた後輩が、

“詞書きました~”

と持ってきたので、これまた適当に曲を付けてみました。

1、2回ライブで奏りました。

それに影響された後輩ベーシストが、作曲までやるようになりました。

自分もその後、数曲、バンド用に曲を作りました。

いま現在、『のんのオルゴール』というホームページで自分で作曲したオリジナルオルゴールのMIDIを公開していたりもします。

なぜか作曲ができるようになっていました。

8年ほど前から曲は作っていませんが、、、(汗)

5年生のあの時、作曲の仕方もコード進行のこともまったく知らずに作った曲ですが、今見てみると“作曲の基本”がきちんとできていて、曲自体もしっかり起承転結になっているところが、ちょっとびっくりです。

2013年8月16日:下記にオルゴール曲と楽譜を追加しました。

給食の歌
音量注意

kyusyoku1
kyusyoku2
kyusyoku3
kyusyoku4

電車通学

高校生のころ次のような経路で電車通学をしていました。

[宮原駅] -高崎線→ [赤羽駅] -赤羽線→ [池袋駅] -有楽町線→ [護国寺駅]

ここで『赤羽線って何?』って方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか?

そう、1985年の“埼京線”開通に伴い、“赤羽線”はなくなりました。
(そんな時代に高校生だったんだぁ~なんて思わないでくださいw)

※一部訂正
赤羽線がなくなったわけではなく、呼ばれなくなっただけだそうです。
埼京線は通称で、大崎~池袋間が「山手線」、池袋~赤羽間が「赤羽線」、赤羽~大宮間が「東北本線(支線)」

http://blogs.yahoo.co.jp/makorhino/20448747.html

赤羽線は、赤羽駅と池袋駅を結び、途中駅は十条駅と板橋駅の合計4駅の所要時間10分ほどの路線でした。

しかーし、この電車、朝のラッシュがすごい。いや、すごいというより『ひどい』だったです。

赤羽駅は『高崎線』『宇都宮線』『京浜東北線』の3線が通っており、大宮方面から来たこれらの電車は赤羽を出るとすべて上野方面へ行ってしまいます。

よって、池袋や新宿方面に向かう人は赤羽駅で赤羽線に乗り換えなければなりません。

ご想像通り、上述3線でやってきた通勤、通学者が赤羽線1本にどっと乗り込むわけです。

赤羽線は10両編成。上述の3線も10両以上の車両で赤羽に到着します。

すべての人が赤羽線に乗り換えるわけではありませんが、仮に半分の人が乗り換えたとしても1.5倍から2倍。
さらに、運行本数の量からしても赤羽線よりも上述の3線の本数の方が多いわけで、想像を遥かに超える人たちが赤羽線のホームに集まります。

ここで普通悩むのが、

・先に乗って座るか、奥の方に乗るか
・後から乗って扉付近に立つか

ですが、そんな選択の余地はありませんっ!

それほど多くの人がホームにいるので、電車に乗ったときのポジションは基本的には運にお任せです。

ただ、乗りなれてくるとある程度、奥に行ったり、ドア付近に立てたりと調整はできるようになりますが、超満員なので座らない限りどこに乗ってもつらさは同じです。

まぁ座ってもつらいんですが。。。

【解説】

<座席の前>
吊革はつかまることはできません。吊革につかまることができるのは、その後ろの人がひとつの吊革を二人で使いますw

さて、座席の前に立っている人はどこにつかまるのでしょうか?

・・・

それは、座っている人の足と足の間に自分の足を挟むように入れて、上半身を前に倒し、座っている人と人の隙間にある電車の窓の枠に手をつくんです!

・・・

想像できましたでしょうか?

この状態で赤羽から池袋の約10分の旅が始まります。

かなりつらいです。

腕がプルプルしてきます。

座ってる方も足の間に足を入れられたり、目の前につらそうな人の顔がきたりして、違う意味でつらいです。

力尽きて、とうとう座っている人に倒れこんでしまった女性もいました。

窓ガラスが割れる事件も起きました。

たった一つの救いですが、鞄を網棚に置く権利はありますw

<座席の前の人の後ろ>
ここはつらそうな人の背中を見ながら吊革をつかむことができますが、その後ろには吊革をつかめなかったフリーの人がいたりします。

なので電車の発着時の揺れにはかなり敏感です。

車両1両を縦に通る、言わば通路ですから、障害物もなく人が埋め尽くされています。

電車が揺れるたびにその1直線の人が同時に動くわけで、とてつもない力が発生します。

完全な超満員ならばそれほど動くことはありませんが、微妙に隙間があったりすると発着の度に人の大移動が起こります。

ここで注意しなければいけないのが、網棚に鞄を置けなかった人です。(特にフリーの人)

手に持ってる鞄は人の動きであちこちに振り回されます。

強い力で引っ張られます。

力尽きます。

鞄が手から離れます。

さて、どうしましょう?

池袋に着くまではお客さんとお客さんの間に挟まったままなので、池袋に着いてお客さんがいなくなってから探しましょうw

2度ほど手から離れました。

革製の丈夫な薄い鞄でしたから無事でしたw

池袋駅のホームと電車の隙間から線路に鞄が落ちていた同級生もいました。

<扉付近>
この辺に乗るのが一番楽でしょうか。

比較的狙って乗ることができますが、そううまく扉の前に立てると思ったら大間違いです。

結構ぎゅうぎゅうなので“もう乗るのは自分が最後だろう”と思っても、そこから10人くらいは容赦なく乗ってきます。

ですから、結局電車の中央くらいのポジションになってしまって大移動に巻き込まれます。

扉付近に乗りたければ、先に乗って座らずに向こう側の扉に行くか、ほんとにほんとに最後に駅員さんに押してもらって乗るくらい、最後の最後に乗るかです。

座れそうなくらい先に乗れたけど椅子取りゲームに負けた人は、だいたい扉付近にポジショニングします。

ただし、ここにも落とし穴があって、十条駅と板橋駅とで扉の開く方向が逆なんです。

そう、どちら側の扉付近に乗っても、途中駅で扉が開くという恐怖が待っているんです。

さらに降りる人なんかいたりしたら一緒に降りなければならないので最悪です。

まぁ、あまり十条と板橋で降りる人はいなかったのでよかったのですが、乗ってくる人もいます。

そんなときは、、、扉を開けません!!

扉を革靴でギュッと押さえます。

ホームで待っている人には、“満員で押さえつけられて開かないんです”という顔を見せます。

まったく面識ない横にいる人も同じことをしています。

もちろん、友達も一緒に押さえてます。

この扉はあきらめて、10秒くらいかかって開いた、隣の扉から乗ってくれますw
(実は扉を開けるのにも時間がかかるんです)

どこに乗ってもつらい赤羽線、池袋に着いたときの開放感はたまらなく気持ちよかったです。

埼京線が開通してから卒業するまで数ヶ月。
とても快適にはなりましたが、快適になりすぎてちょっとさびしい気もしましたね。。。

さて、ハングルメモ

タイトルの 『電車通学』  ハングルでは 전철통학

読み方は『チョチョ トンgハk』。

“トンg”は英語の発音にあるような、飲み込むような“ン”です。
“マンガ”と発音したときの“ン”です。

直訳すると

:電鉄(チョチョ
:通学(トンgハk)

どちらも漢字語です。

他に、

지하:地下鉄(チアチョ
생:学生(ハkセンg)

などありますが、ここで、

電鉄も地下鉄も “鉄” は チョ
通学も学生も “学” は ハk

同じ漢字は同じ発音だということにお気づきでしょうか?

このようにハングルでは基本的には漢字語1文字につき1つの発音しかありません。(例外はありますが)

読み方も日本語と似たようなものも多いですし、違っても日本語の読みと対になっているものも多いです。

例えば、
社/写/斜(シャ)は “サ”
会/回(カイ)は “フェ”

会社は“フェサ”と発音します。

なので、韓国語の大多数を占める漢字語を覚えるとある程度は話せるようになるんです。

自分はまだまだ話せませんが、、、

最後に例文です。

나는 회사에는 전철로 갑니다.
ナヌン フェサエヌン チョチョロ カmニダ
私は 会社へは 電車で 行きます。

【解説】
나:私
는:~は
회사:会社
에:~へ
는:~は   에는 で “~へは” になります
전철:電車
로:で
갑니다:行きます

自転車

このブログはBlognPlusというPHPを使わせていただいていますが、IEでは一部で文字化けを起こしていたようです。
自分の文章では『韓国語』が文字化けしていました。

<原因と解決方法>
BlognPlusのスキンのhtmlに記述されている


lang=”ja”
が邪魔をしていたようで、この記述を削除してだけにしたら文字化けせずに表示されるようになりました。

BlognPlusユーザーの皆様、ご参考まで。

さて昨日の記憶の続き。

次に古い記憶ですが、複数あってどれが先か後かわからないのでまとめて書きますw

・大阪万国博覧会で外人さんからヨーヨーを買う
・万博の帰り、新幹線の中で転んで肘掛にぶつけて歯を折る
・大雪が降ってものすごく大きい雪だるまを作る
・ピーターパンという名前の自転車を買ってもらう

万博は確定ですが、その他の記憶も1970~1971年の出来事だと思います。

万博に行ったときの写真はアルバムにたくさんありますが、実際に体感して記憶に残っているのは上の2つだけ。
今思い出して感じるのは、ヨーヨーはアルミのような軽い感じのもので、コカコーラヨーヨーのような重量感はありませんし、技もまったくできないような物でした。
下に降ろしても戻りが悪い、という記憶は自分がまだ下手くそだったからでしょうねw

大雪の記憶は、これまでの雪の記憶の中でも最大の大雪だったと思います。
庭でものすごく大きな雪だるまを作りました。
ただそれだけの記憶ですが、、、

幼稚園に入る前は、父親が商売をやっている神田によく付いて行ったりしてました。
自転車は神田で買ってもらい、商売の配達車(うちにしてみれば自家用車ですがw)で家まで運んでもらったんだと思います。
型名は『ピーターパン自転車』。ハンドルが丸くつながっている珍しい形です。
幼稚園の時にはすでに補助輪を外し、一人で友達の家とかまで出かけたりできるようないい時代でした。
今、幼児を一人で出かけさせるなんて怖くてできないですもんね。

このピーターパン自転車にまつわる記憶は他にもいくつかあります。
・朝、補助輪を外しての練習に付き合ってくれた、仕事に行く前の父親。
・一緒に遊ぶけど、自転車に乗れないので走ってついてくる幼稚園の友達。
・自転車で友達の家に行く途中、一緒に行こうとしていた友達が途中で転んでしまい、『お前だけで行ってくれ、俺はここで待ってる』と言われ、もちろん行ったw
・たまには補助輪付きも乗ってみたくなり、友達の補助輪付きの自転車と交換して乗っていたが、曲がるときに車体を倒せないことを忘れており、無理に倒して曲がろうとして補助輪が邪魔で転んでしまい、そのまま道路脇のドブに落ちた。結構深かったので全身浸かった。
・スタンドがないので、左のペダルをうまく地面に付けて、倒れないように置いていたw
・最後に、ゴミ捨て場に捨てられていた。。。

さて、ハングルメモ

タイトルの 『自転車』  ハングルでは 자전거

読み方は『チャヂョゴ』。チャリンコと似てるので覚えやすいですねw

【例文】
나는 자전거를 탈 수 있어요.
ナヌ チャヂョゴル タ ス イッソヨ
私は 自転車に 乗ることができます。 

【解説】
나는:私は
자전거를:自転車に
탈 수 있어요:乗ることができます

【탈 수 있어요の詳細】
탄다:“乗る” の辞書形
ㄹ 수 있다 または 을 수 있다:“~することができる” という可能を表す
어요 または 아요:どちらも “です” “ます” にあたる言葉

탄다の語幹탄からㄴが脱落し、ㄹ 수 있다の語幹が続き、어요で終わるので

탈 수 있어요
となります。

【応用】
자전거로 갈 수 있어요.
チャヂョゴロ カ ス イッソヨ
自転車で 行くことができます。

~로 または ~으로:~で(手段、道具)
가다:“行く” の辞書形