高校生の頃、よく聴いていた音楽といえば、『ザ・ベストテン』や『トップテン』で流れてくる、いわゆる“歌謡曲”ばかりでした。
望遠レンズと一眼レフカメラを持ち、イベント会場に行って芸能人を撮影する、なんてこともけっこうしてましたw
高校2年生くらいから少しずつ『バンド』というものに興味を持ち始め、友達が聴いていたものを紹介してもらう形で、いろいろ聴くようになりました。
当時は、池袋の100円バーガー店内のモニターで流れまくっていた“洋楽POP”が大人気でしたが、自分はやはり『バンド』、特にハードロックやへヴィメタル路線をいっていました。
それもジャパニーズ。
まぁ、ラウドネス、アースシェイカーあたりですね。
洋でもBon Jovi、Ratt、W.A.S.P、PRETTY MAIDSなどには手をつけましたが、やっぱり歌詞の聞き取れるジャパニーズの方がしっくりくるようですw
高校2年の文化祭で、教室ライブから聴いたことのある曲が流れてきました。
ラウドネスの曲でした。
行ってみると同級生が演奏してました。
ヴォーカルはともかく、、、演奏はほぼ完璧にコピーされていました。
『ヘヴィメタは難しい』という固定観念があったので、それをいとも簡単にコピーしている同級生を見てちょっと感動しました。
『自分も演ってみたい。。。』
これがギターを始めるきっかけになりました。
ところで、ラウドネスですが、、、
友達に言われるまで、ドラムの樋口とギターの高崎が元レイジーのデイビーとスージーだったことに気づかず、写真をよーく見て
『あぁ、ほんとだぁ』
とびっくりしたものです。
というのも、レイジーは“赤頭巾ちゃん御用心”で大ブレイクしたアイドルバンドですが、自分の知ってるレイジーはそこまでで、その後、脱アイドルしてハードロッカーになったレイジーを知らなかったので、とてもビックリだったのです。
ちなみにレイジーのヴォーカルであるミッシェルは、今ではアニソン界には欠かせない、ドラゴンボールZの影山ヒロノブ。
京本政樹を初めて見たとき、一瞬『ミッシェル?』と思ったけど全然違ったw
えっと、ギターですね。
そう、無謀にも高崎晃のギターを目指したものだから、さぁ大変!
ギター屋のお兄ちゃんに
“どうせ買うなら欲しいのにした方がいいよ~”
と言われたが、高崎と同じランダムスターはちょっと、、、って感じだったので、B.C.RICHのWARLOCK(White)を買いました。(これもどうかと思いますがw)
ラウドネスのスコアブックも買って、さて弾くぞ~。。。。
弾けるわけがありません。
基本の「き」すらやっていないんですから。。。
それでもTAB譜通りに指で押さえてピックで弾いて、を繰り返していくうちにバッキングは比較的できるようになりました。
が、ギターソロはTAB譜を追いかけるのもいやになるくらい音符の数が。
“最初はゆっくり”とは言っても、スケールもコードも良くわかってない人がこの変則連符のフレーズを覚えられるわけがありません。
徐々にやる気も失せてきて、とうとうハードロックギタリストの道は途絶えてしまいました。
あの時、スケールさえマスターしておけば。。。 未だにしてませんが、、、(爆)
それから大学に進んで一人暮らしをはじめたわけですが、もちろんWARLOCKギターも一緒に行きました!
のほほんと、適当にギターを奏でる日々が数ヶ月ほど続きましたが、友達の部屋のラジカセから流れてきた
“僕、パンクロックが好きだ~♪”
というブルーハーツの曲。(最初は爆風スランプが歌っているのかと思ったw)
“パパ、ママ、おはようございます、今日は何から始めよう♪”
す、すげー、かっこいい!
と思うと同時に、
す、すげー、ギター弾けそう。。。
と思っちゃいました、、、(^_^;(すいません)
1987年、念願のバンド結成です!
ブルハのコピーバンドです。
初ライブは学祭の野外ステージ。
セットリストは
街
終わらない歌
パンクロック
世界のまん中
君のため
爆弾が落っこちる時
だったと思います。
ちなみに使用したギターはというと、、、WARLOCKでした。。。ははは
今日はこのくらいで。
今度、高校のときに撮ったアイドルの写真でも上げときますw
写真を上げておきました。
http://music.nonono.jp/2008/06/04/200
http://music.nonono.jp/2008/09/28/207
http://music.nonono.jp/2009/06/05/220
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