自分の地元では蛍を見たことはありませんでした。

自分がまだ小さかった約35年ほど前の郊外とは言え、蛍がいたという話は聞いたことがありません。

幼稚園か小学校低学年の頃、母親の田舎である秋田に遊びに行ったときに、庭にたくさんの蛍がいたのを覚えています。

親戚のお兄ちゃんたちが、膨らませた両手の中に蛍を入れて、指の隙間から光る蛍を見せてくれたのもよく覚えています。

その時、贅沢にも子供たち1人1人に1瓶のサイダーを与えられたことも良く覚えていますw

“あぁ、蛍はこういう田舎にしかいなんだなぁ”

と思っていました。

それ以来、蛍を見たのは『ぼくの夏休み』というゲームの中でくらいですw

つい先日までは。。。

今、自分が住んでいる地域では『蛍を呼び戻そう』という場所がいくつかあります。

何年か前に数回見に行きましたが、蛍に出会ったことはありませんでした。

“やっぱりいないんだよなぁ”

と思っていました。

先日、久々にそれを思い出して蛍を見に行くことにしました。

“どうせまたいないってっ!”

とまったく期待しないで行きました。

親子4人、自転車で現地に着くと、他にも数グループが蛍を探しに来ていたようです。

“今日はいるのかな?”

暗い道をトコトコ歩いていくと、別グループの母娘が座って草むらの中を見ていました。

“蛍がそこにいるんですよ。”

“えっ!”

驚きました。本当に蛍がいるなんて。

もっと驚いたのが、その母娘がうちの娘と同じ幼稚園のお友達でしたw

蛍のいる位置を詳しく教えてもらって、そこをじっと見ていると

たまぁにボワッと光ったり、時にはビカァ~と光ったり、ほとんど移動せずにその場でお尻を光らせていました。

“いるんだねぇ~”

期待したことはほとんど実現しないうちら夫婦。。。

今回はまったく期待しないで行ったのが良かったのか、1匹だけですが念願の蛍を見ることができました!

詳しい場所は教えませ~ん!

分解小僧

昔から複雑な構造をしたものをいじったり調べたりするのが好きでした。

小学校の頃、隣の家のテレビが壊れたので、それをもらって分解してみたり。

これは、中身がどうなっているのかを確かめることの他に、普段壊してはいけないものを壊せるという満足感もあったと思う。

家の自転車を分解して、もう一度組み立てようとして、結局できなくて自転車屋に直してもらったり。。。

これは、もう一度組み立てようという意思があったが、構造を理解できなかった。

ゲームウオッチ(古っ)の画面を直接テレビに映せるかと思って分解してみたり。

これは、新たな発想で最終的には実現できなかったが、実現できない理由まではわからなかった。

他にも、
・釣りのリールはなぜ糸を巻き取れるのか?
・ルービックキューブはなぜ崩れずあんなふうに回すことができるのか?
など、いろいろ分解して調べたものでした。

とにかく『これ、中身どうなってるの?』と思ったものは片っ端から分解して調べたんです。

構造を理解して、ちゃんと元通りに戻せたものもあれば、上の自転車のように元通りに戻せなかったものも多々ありますw

今は面倒くさくてやっていませんが、カーステやカーナビとかも自分で取付けしてました。

中二の時、初めてビデオデッキが我が家にやってきたときも、テレビに接続したのは自分でした。

ふと思い出したのですが、うちには

『タバコを吸うベートーベン?の顔だけの人形』

があったんです。

火のついたタバコをくわえさせてスイッチを入れると、口からスパスパタバコを吸って、ゴホッゴホッと咳しながら、鼻から煙を出すんです。

何故こんなものがうちにあったのかわかりませんが、父親の吸殻をもらってよく遊んだものです。

お察しの通り、構造を知りたい自分はこっそりネジを外して中身を見てみましたw

ベートーベンの口と鼻はつながっていて途中にプロペラがあり、そのプロペラはモーターで回します。

換気扇と同じ要領で、口から吸い込んだタバコの煙を鼻から換気してるだけだったんですね。

ゴホッゴホッという咳の音の正体までは調べませんでしたが、おそらく当時のリカちゃん電話などと同様に、磁気フィルムに録音した音を回転させて再生していたんでしょう(謎)

現在では当たり前のIC録音技術なんてまだまだない時代ですから、こういうものは何でも磁気テープ系でしたね。

さて、こんな自分はやはり理系に進んで、今では商品開発の仕事をしています。

液晶表示を使った商品をメインで扱っているので、ゲームウオッチの画面を直接テレビに映せないことも、ちゃんと理解できてますw

先日、自転車のタイヤが磨り減りすぎて繊維まで出てきてしまったので、新しい自転車を買おうか、タイヤを交換しようか悩んだ結果、あちこち自分で修理してきた愛着のある自転車なのでタイヤを交換することにしました。

もちろん自分で。

日曜日の朝からタイヤ交換作業を始めたのですが、そろそろ作業が終わろうとしている頃にかみさんから、

『どうしてそんなことできるの?』

という質問を受けました。

なぜかわからなかったので、

『勘だよ』

と答えました(^_^;

確かに勘ですが、おそらく過去にいろいろな構造を調べた経験があったからこそ、勘でできたんだと思います。

ちなみに自転車は7年位前に1万円で買ったものですが、今回のタイヤ前後で5千円位かけちゃいましたw

同時に娘の自転車も買いました!

まぁ壊れても自分で直せるかなっw

ラジオの公開録音

高校1年の頃、学校の帰りに市ヶ谷まで出向き、SHARPのショールームの横にあったスタジオで行われていた、片岡鶴太郎のラジオ番組“鶴太郎のジョイジョイスタジオ”(番組名は合ってるかな?)の公開録音をよく見に行きました。

往復はがきで観覧申し込みをするか、それにハズレても現地でまた抽選があったりします。

スタジオに入れた人は椅子に着席して鶴ちゃんとゲストの話を聞いたり、ゲストの歌を聞いたり、運がよければ鶴ちゃんご指名でゲームに参加できたりもします。

スタジオに入れなかった人は外からガラス越しに見学します。

ゲストは基本的には毎回一人です。

自分が見に行った時のゲストの記憶をたどってみると、小泉今日子、河合奈保子、石川秀美、岩井小百合、徳丸純子、神野美伽、中村容子(超マイナー)、若林加奈(これもマイナー?)、横田早苗(もっとマイナー?)、若人あきら(現 我修院達也) など。

なぜか一回だけ歌手ではなく、ものまね芸人の若人あきらさんだったことがあります。

現在は我修院達也として俳優や声優、郷ひろみのパチンコのCM(もうやってない?)などで活躍してますが、かつては郷ひろみを代表レパートリーとするものまねタレントでした。

失踪する前ですね。。。

ちなみにこの日の収録のオープニングで、鶴ちゃんが客席を回ってお客にマイクを向けていろいろ質問するのですが、いやな予感がしたらほんとに自分のところに来てしまいました。

超テンパリました!

鶴ちゃん:『こんちわっ!』

自分:『こんにちわ~』

鶴ちゃん:『どこから来たの?』

自分:『大宮』

鶴ちゃん:『大宮!遠くから来たね~』

自分:『はい』 (心の中では“学校がこっちの方なんで、、、”と思っていたw)

鶴ちゃん:『今日のゲストの若人あきらさんにやってもらいたいものまねは?』

自分:『えーっと、、、』 (べたに郷ひろみと言おうか、うけを狙おうか考え中。。。)

2秒ほど考え抜いた挙句、

自分:『浦辺粂子(うらべくめこ)!』

と鶴ちゃんのレパートリーである浦辺粂子さんの名前を叫んでいましたw

若人あきらさんは律儀に

若人さん:『あ・た・し・は・ねーっ!』

と鶴ちゃんが浦辺粂子のものまねをするまねをしたのですが、まったく似てませんでした。

鶴ちゃん:『おじいさんみたいですねー』

会場:『ワハハハハハハハ』

一応、会場も盛り上がってくれたので結果オーライということで。。。w

さぁ番組も進み、いきなりもう一人、男の人が現れました。

若人あきらさんの弟子の若人一石という人でした。

一石さん:『若人一石(わかといっこく)です。ひとつのいしと書いていっこくです。よろしくお願いします。』

どこかで見たことある人だと思ったら、ちょっと前に素人ものまね番組でルパン三世のものまねをやっていた人でした。(1983年現在の話です)

その時、収録会場でもやりましたが、ルパンのものまねは栗貫より似ていました。

“へぇ~、若人あきらの弟子だったんだ~”

さて、ここでお気づきになった方はいらっしゃいますでしょうか?

若人あきらさんの弟子の名前は“わかといっこく”です。

ひとつのいしで一石。

本名が玉城一石の、

そう、腹話術で有名な いっこく堂さん だったのです。(たぶんw)

腹話術のいっこく堂を初めて見たときはまったく気づきませんでしたが、いっこく堂の本名『玉城一石』の『一石』で若人あきらさんの収録を思い出したんです。

『ひとつのいしと書いていっこくです』

いろいろ調べてみたら、いっこく堂さんは昔ものまねもやっていたらしく、若人あきらさんの弟子であったとの情報も見つけたので確実でしょう。

薄暗いスタジオ内での撮影だったのであまりうまく写っていませんが、収録の時に撮った写真をいくつか載せておきますw

デジカメなんて世の中に存在しない時代ですから、写真をスキャンしたものです。

小泉今日子
小泉今日子
河合奈保子2
河合奈保子
石川秀美
石川秀美
岩井小百合
岩井小百合
徳丸純子
徳丸純子
横田早苗
横田早苗と鶴ちゃん

ギターをはじめたのは

高校生の頃、よく聴いていた音楽といえば、『ザ・ベストテン』や『トップテン』で流れてくる、いわゆる“歌謡曲”ばかりでした。

望遠レンズと一眼レフカメラを持ち、イベント会場に行って芸能人を撮影する、なんてこともけっこうしてましたw

高校2年生くらいから少しずつ『バンド』というものに興味を持ち始め、友達が聴いていたものを紹介してもらう形で、いろいろ聴くようになりました。

当時は、池袋の100円バーガー店内のモニターで流れまくっていた“洋楽POP”が大人気でしたが、自分はやはり『バンド』、特にハードロックやへヴィメタル路線をいっていました。

それもジャパニーズ。

まぁ、ラウドネス、アースシェイカーあたりですね。

洋でもBon Jovi、Ratt、W.A.S.P、PRETTY MAIDSなどには手をつけましたが、やっぱり歌詞の聞き取れるジャパニーズの方がしっくりくるようですw

高校2年の文化祭で、教室ライブから聴いたことのある曲が流れてきました。

ラウドネスの曲でした。

行ってみると同級生が演奏してました。

ヴォーカルはともかく、、、演奏はほぼ完璧にコピーされていました。

『ヘヴィメタは難しい』という固定観念があったので、それをいとも簡単にコピーしている同級生を見てちょっと感動しました。

『自分も演ってみたい。。。』

これがギターを始めるきっかけになりました。

ところで、ラウドネスですが、、、

友達に言われるまで、ドラムの樋口とギターの高崎が元レイジーのデイビーとスージーだったことに気づかず、写真をよーく見て

『あぁ、ほんとだぁ』

とびっくりしたものです。

というのも、レイジーは“赤頭巾ちゃん御用心”で大ブレイクしたアイドルバンドですが、自分の知ってるレイジーはそこまでで、その後、脱アイドルしてハードロッカーになったレイジーを知らなかったので、とてもビックリだったのです。

ちなみにレイジーのヴォーカルであるミッシェルは、今ではアニソン界には欠かせない、ドラゴンボールZの影山ヒロノブ。

京本政樹を初めて見たとき、一瞬『ミッシェル?』と思ったけど全然違ったw

えっと、ギターですね。

そう、無謀にも高崎晃のギターを目指したものだから、さぁ大変!

ギター屋のお兄ちゃんに

“どうせ買うなら欲しいのにした方がいいよ~”

と言われたが、高崎と同じランダムスターはちょっと、、、って感じだったので、B.C.RICHのWARLOCK(White)を買いました。(これもどうかと思いますがw)

ラウドネスのスコアブックも買って、さて弾くぞ~。。。。

弾けるわけがありません。

基本の「き」すらやっていないんですから。。。

それでもTAB譜通りに指で押さえてピックで弾いて、を繰り返していくうちにバッキングは比較的できるようになりました。

が、ギターソロはTAB譜を追いかけるのもいやになるくらい音符の数が。

“最初はゆっくり”とは言っても、スケールもコードも良くわかってない人がこの変則連符のフレーズを覚えられるわけがありません。

徐々にやる気も失せてきて、とうとうハードロックギタリストの道は途絶えてしまいました。

あの時、スケールさえマスターしておけば。。。   未だにしてませんが、、、(爆)

それから大学に進んで一人暮らしをはじめたわけですが、もちろんWARLOCKギターも一緒に行きました!

のほほんと、適当にギターを奏でる日々が数ヶ月ほど続きましたが、友達の部屋のラジカセから流れてきた

“僕、パンクロックが好きだ~♪”

というブルーハーツの曲。(最初は爆風スランプが歌っているのかと思ったw)

“パパ、ママ、おはようございます、今日は何から始めよう♪”

す、すげー、かっこいい!

と思うと同時に、

す、すげー、ギター弾けそう。。。

と思っちゃいました、、、(^_^;(すいません)

1987年、念願のバンド結成です!

ブルハのコピーバンドです。

初ライブは学祭の野外ステージ。

セットリストは

 街
 終わらない歌
 パンクロック
 世界のまん中
 君のため
 爆弾が落っこちる時

だったと思います。

ちなみに使用したギターはというと、、、WARLOCKでした。。。ははは

今日はこのくらいで。

今度、高校のときに撮ったアイドルの写真でも上げときますw

写真を上げておきました。
http://music.nonono.jp/2008/06/04/200
http://music.nonono.jp/2008/09/28/207
http://music.nonono.jp/2009/06/05/220